無理に話す必要はないということ
こんにちは、しゅうです。
今日は、とある気づきについて書きたいと思います。
それは、”無理に話す必要はないということ”です。
急にどうしたって感じかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。
僕は、他人にかなり気を使ってしまう性格なのですが、誰かといるといつも何かしべらないとなーと思ってしまいます。
中高の時は、話さないとなーと思いつつ、話すことが全く思いつかず、気まずいなとよく思っていました。
よくあったのが数人で帰っているとき、一人が別の岐路に立つと二人きりになるじゃないですか。だから、いつもあそこについたら、あいつと二人きりか~とかよく考えていました。個人的には、思春期あるあるだと思っているんですが、皆はどうなんでしょう。あの時間は本当に嫌でした。笑
しかし、大学生になってようやく気付いたことがあります。
それは、しゃべることがないってのは平和であることの証。
鳩なんかよりもよっぽど平和のシンボルですよ(笑)
どういうことかといいますと、もし何か緊急事態があったら喋らないではいられないじゃないですか。
例えば、試験直前なのに簡単な問題が理解できていないとき。
きっと、誰しも普段はあまりしゃべらないような人ともしゃべれるはずです。
レポート締め切り直前なのに、周りにホッチキスが見当たらないとき。
きっと、誰かに貸してほしいといえるでしょう。
トイレが我慢ならない時。
誰かにトイレの場所聞いたり、先に使わせて、と言えるでしょう。
このように、すべて緊急事態の時は、多少の恥ずかしさや相手にどう思われるかを考えずに行動できます。そう、本能としての勇気が出るのです。
でも、普段の生活の多くは、話す必要がない時間が多いです。いつでも会えるし、別に話しても何も変わらない。
ここで、気まずいとか、話さないと、って思うのではなく、ああなんて平和なんだろうって思ってほしいんです。
ですから、無理に話を持ち出してきて静寂をごまかす必要はなく、ただ自分が気になったことや相手に聞かれたことだけを素直に話せばいいのです。ただ、相手に興味を持つことは人間関係を築くうえで大切だと思うので、相手に興味を持つのは素晴らしいことだと思います。(後述)
まあ場合によることが多いと思いますが、無理に背伸びせず等身大の自分で生きていきましょう。
自分は、静寂な時間や一人でいるときは、よく
Mrs.GREEN APPLEの「僕のこと」の「ああ~、なんて~、素敵な日だ~」が流れてきます。皆さんも、話すことなくなって静寂になった時は、こっそり頭の中でこの歌を流してください笑。いい歌ですよ。
気まずさを感じていたり、
無理に話し作って自分を疲れさせていたり、
そんなんでストレスをためているのは、もったいないですよ。人生損していますよ。
逆に、その状況を楽しむくらいがちょうどいいですよ。
そのために、まず静かになったら、「平和な時間キター!!」って思ってください。笑
それだけ客観視して、そのうえで、話すことがあるとそれはもう最強ですね。
ぜひぜひ参考にしてください。
早く、コロナが終息して静寂が戻ってきてほしいです。
静寂は平和の象徴です。
ばあい。